心地よい暮らしを ラフでいこう!笑っていこう!

ヨガ教師、こどもの命を守る仕事に従事しています。日々のこと。感じたこと。

フランシスコ教王訪日

私は、キリスト教信者ではありません。

 

が、教王の数々の返答を見ていると心救われる方がたくさんいるんだろうなぁと想像がつきます。

 

昨日ニュースでいじめられている方へのアドバイスがありました。

「太っているねと言われたら、痩せているね君と返せば良い」とおっしゃっていました。

この一言は、深い深い意味を持っていると私は思います。

 

その言葉には何も意味がなく、それをあいつが太ってると言った(怒)、、

などと、恨みを持って捉えるのでもなく

かといって言われたまま放置しているわけでもなく

「あなたは〇〇だね」と返答するだけと私は解釈しました。

太っているねと言ったその方を怒るでもなく許すでもなくその方の事象を再度お伝えしただけ。。

 

人は心の中に劣等感を持つと、人から一言太っているねと伝えただけなのにそれを腹が立つと捉える人もいます。

ヨガではその劣等感、自分は人と比べて劣っている。と、判断する心を手放すと言われます。

良い悪いは無い、今のそのままを受け入れる評価しない心を訓練していきます。

 

なので体重計に乗り、体に負担がかかる位、体重が太っているならば、自分で気がつき調節をすればいいだけの話。

 

その太る原因と言うのは、単に食べ物の種類の栄養学的な不勉強であったりもしますし

人から言われた嫌なことを紛らわすため、食物性を癒す出すために口に入れているのかもしれないし、その食べ物中に幸せがありそれを食べると幸せを感じるのかもしれないし、

その食べ物を食べて心の中が満たされるためなのですか

頭の評価と言うのは、自分にしかわからないことであります。

発散するために食べているのか

自分を満たすために食べているのか

 

そこが問題であって

人にとっていると言われて自分の中の劣等感を膨れ上がらせる事象にはつながらない

 

どんな宗教であっても、猫の気持ちは変わらない

人々の心が穏やかに過ごせるためにあるものだなと改めて感じました。