心地よい暮らしを ラフでいこう!笑っていこう!

ヨガ教師、こどもの命を守る仕事に従事しています。日々のこと。感じたこと。

地元でヨーガ療法教室を開きたい理由

また私がヨーガに出会った頃お話しいたします。

私が生まれたところは四国香川県になります。西宮の大学進学後、大阪市の公立の保育所に勤めました。結婚を境に私は退職をし、転勤族の主人についていきました。

私の主人は転勤族で、愛媛、東京八王子、愛媛、今ここに住んでおります。

転勤族の何が辛いかと言うと、私自身の居場所がなくなることです。

主人は会社に行き同僚と毎日仕事をしております。子供たちは幼稚園や小学校に通ってまた新しい生活をしております。

主人の仕事の安定と、子供たちの新生活のほうに気を取られ、私自身をおざなりにしてきました。

子供達が小さい頃は、ママ友もでき、毎日夕方になると公園で一緒に遊んだり、夏休みには川や海山へ出かけていました。

ちょうど福山に来た頃、ママ友と言うより子供たちも子供たちの世界ができ

私だけ置いてけぼりになった気がしました。

それならば仕事をすればいいじゃないか?

と思われると思うのですが、何せ転勤族で、助けてくれる人もいない中、やりたい仕事もなく、私はついに家でヒキコモってしまいました。

ちょうどその頃、TwitterやLINEが流行り始め、その中で出会った友達と毎日のように話していました。

そうそう完全に引きこもり状態。

ここに来た頃は、周りの友達も仕事に行き始め、心を許せる人もおらず、とても寂しい日々だったように思います。

そんな頃、新聞の記事でマタニティーヨガの紹介を見ました。

私の師匠いくませんせいと先生とマタニティーの方3人くらいが載っておられたように思います。

その新聞記事をずっと握り締めて手帳に挟んでおりました。その当時は、主人ともあまり仲が良くなく、(笑)まぁ今考えれば、主人は主人で仕事が大変な時期であったように思います。

私はずっと働いていないことを私が自分自身お金を稼いでこない事を勝手に私自身が惨めに思っていました。

なぜならば、その保育士時代昔の保育士時代をの年収が実は高かったのです。やめたことを後悔もしていました。公務員ですもの。

結婚当初、主人の年収も知らず、専業主婦になる道を選んでしまった私。どこか後悔の念があったように思います。お金の面のみ。

半面、保育士をしていたこともあり、反面教師のように、子供を他人に預けて自分が働くと言う選択肢はなかったのです。

余談になりますが、保育士をやっていた方はわかると思うのですが、内情はとてもひどく先生から子供へ対する暴言や虐待もありました。

なので、余計他人に自分の子供預けることに抵抗がありました。もちろん幼稚園時代は、幼稚園選びも慎重になりました。

そう私の子育てへのこだわりだったのです。

そのこだわりを貫いて、自分で自分の首をしめているところもありました。世の中のお母様方皆が思っている事でしょう。

こんなお母さんでいたい。こんな女性でいたい。

追えば追うほど自分が苦しくなってきている状態です。

価値観なんて変わっていきます。専業主婦から今ははたらくママが主流に。

その他なんやかんやの時代も経て

少し思い切って半年後その新聞の切れ端を握り締めヨガ教室の門をくぐりました。

そこではなんと不思議な体験がありました。

その詳細はまた次回お話しするとして、ヨガを1回やった瞬間涙が溢れてきました。

それまで自分を犠牲にして、自分自身のこともわからず、主人には理想の父親像を押し付け、子供たちには勉強が出来るようにハッパをかけ、その反面私自身の心のケアをすることをおざなりにしていたのです。

何物でもない自分を認めてあげれてなかったのは私自身でした。

その何物でもない自分を本当に認めてあげれたのは、ヨガを始めて3年位だったでしょうか?

何物でもない私が存在しても良い。

そう感じられると、主人の存在に対しても、何物でもない主人を丸のままを愛せるようになりました。

そんなことが、体を緩めることによって気がついてきました。

体を動かすこと、体を感じること、体を温めること、体を触ること。

そんな中で自分の中心を感じることができました。

インストラクターの養成講座に入ってからも、私はインストラクターをするつもりなど全くなかったのです。

ヨガとはなんぞや?自分の軸になるものを探りたかった。その一心で1年半の講座を受けました。

このインストラクターの養成講座の中身は、ヨガ実践の教え方はほとんど触れません。

ヨガ哲学インド5000年の歴史を学んでいきます。自分がどんな存在であったか?自分の思い込み、自分の過去を洗い流す、見つめ直す、誤認知を訂正する役目をします。

例えば、毎回宿題をみんなの前で発表します。

ある方の発言が今でも心に残っています。

その方は3人兄弟の1番上。いつもお姉ちゃんだからしっかりしてください。共働きのお父さんとお母さんの代わりにご飯を作ったりしていたそうです。そのことが今でも腹が立ってお母さんにつらく当たっていたそうです。なぜ私だけ辛い目にあったのか?

その方の振り返りの中、今思えば両親は子供たちを育てるお金を稼ぐために必死で働いていたことを思い出したそうです。たまにしんどかった時にきつく言われたことたったその1ページを彼女自身が切り取って、記憶として残っていただけの事と言うことを気づいたそうです。

私たちの記憶と言うものは曖昧で、幼い頃の記憶と言うものは、幼い浅はかな考えの下の記憶であります。実際どうだったかと言う事は問題ではなく、誤って認知、記憶していたと言うことを自分自身が気がつくと、感謝が生まれてきます。

よく子供を持って親の気持ちがわかると言いますが、皆さんも心当たりがあるかと思います。

そのたった1ページその瞬間の記憶がその方の人生を大きく変えていく。

その誤った認識を正しいものに変えていく作業もしていきます。

私の中のこだわりが何であるか?そして何にこだわっているのか?何に引っかかっているのか?回行それに気がつくと、ここが1番大事なのですが、人に指摘されることより自分で気がつくことが何より大切なのです。

そのこだわりを一つ一つなくしていくと、色眼鏡で見ていた世の中も明るく綺麗に見えるよなってきました。

私の目指す世界は、誰もが自分の持っているものを発揮できる世の中。そして、自分の持っているものを少し周りの人にも分けてあげる世の中。

なので、私の知っていること、例えばスマホやパソコン、AI家電、そんなことが他人の役に立てればとても幸いです。

ヨガに関して言えば、インドの歴史が後ろ盾になってくれます。

そしてそんな世の中ができれば、何物でもない自分でも存在していけるのではないかなと思います。

自分では当然の事は例えば隣の人には知らなかった事があったりします。

こうやって、住んでいる地域で集まれる場所があれば、また助け合って過ごしていけるのではないかなと思っています。

お茶の心で一山入魂と言う言葉があるそうです。茶室に入れば逆さまも3人も同等。挫折を盛り上げることをお客様もするそうです。

私がレッスンの前にお茶をみんなで飲むのも、このだが和こともありますが、周りの方を気にかけて和を作っていくことも目的であります。

ヨガに来て、体が柔らかくなったり心が緩んだり、軽くなった心と体をいろんな方向に向けてもらえればなと思います。

そして、健康寿命を長くし、知恵のある穏やかな年寄りになりたいと思っています。