今日は、もやもやと蒸し暑い日でした。なんか暑い!と思ったら、UNIQLOのブラトップのめっちゃナイロンのタイプを着ていました!あちゃ!!そりゃ暑いさ!
おばさまは、綿が一番!
夫がとにかくハマった、ひきこもり先生。NHKで放映。ひきこもりの男性が子どもたちと共にひきこもりに向かい、立ちあがろうとするドラマ。
わたしは、小学6年の時1ヶ月くらい登校拒否でした。きっかけは盲腸で入院してから、学校をそれまで休んだことがなかったので行きづらかった。単純な理由です。
子どもの世界は本当に狭くて、些細な引っ掛かりがどうしてもとれなくて、気になって前に進めなくなるんです。
それは、実は些細なことではなく、沢山の伏線が転がっていて、元気なときパワーのある時ならなんもなくクリアできることも、沢山の伏線が積もり積もって動けなくなる。
家族の喧嘩、クラブのいじめ、中学進学、
しかし、一番の要因は必ず家族です。
我が家の場合、大家族で家業を営んでおり横暴な祖父と無関心の祖母、過剰反応の母、無関心の父。被害妄想の姉と他人行儀な私、お人好しの弟。
いつも業者の人が家に出入りして、近所の人、小姑、親戚。常に人がいました。
けれどわたしには居場所がなく、とにかく夜遅くまでバスケットをするのが、楽しかった。と、言うより身体を動かしていると余計なことを考えなくていいので、心地よかったということの方が合っていたかも。
そこから、6年になり、世代交代のバスケット部。監督も変わり風向きが変わり、それまで風上だったわたしはいきなり劣勢に。
いじめなんて全くなかった部だったのに、いきなり発生。そんな部が嫌になりながらしかし通っているといきなり、いじめはわたしの順番になりました。
あ。やーめーた!いじめの雰囲気をわかっているのに、新しい監督はとなりのクラスの担任なのでわかっているのか?知らんぷりなのか?はたまた無能なのか?
そこから、盲腸になり、手術、入院。そして復帰できず、ひきこもり。
この時の手術の最中に仕事へ行った母の態度がどうしてもわたしは許せず、これが最大の原因で引きこもりました。
能天気というより自分のことしか考えていない過剰反応の母なので、こんな手術くらい大丈夫やと思っていたのでしょう。
それが許せなかった。こんな時だけでもそばにいてほしかったという子どもの想いでした。
ひきこもりから立ち直るのは、担任の先生の熱意でした。大丈夫環境は整えてあるからと何度も何度も学級新聞に待ってるからと書いてくれました。
何も聞かず、待ってるからと。何度も。
そして、わたしが引きこもっても、その当時は不登校という言葉なんてなく精神病院行きという話になり、、
うわ!やば!精神病院行きたくないと、逃げて学校へ行きました。
単純な復活でした。
そんなもんです。できるできるできると周りが唱えてくれていたら、立ち上がれるんです。
それは、強制するものでもなく、当然できるんやでーーーーーー。みたいなふんわりしたもの。
この後この担任の先生は、校長先生になられました。そして、バスケ部監督は、正規の先生ではなかったそうで、PTA会長の父をもつ私からの制裁を恐れていました。
これは、30年も前の話。
世の中は複雑になっているけど、割と単純なもの。本当に想ってくれる人がいるだけでできると思うんだよね。
子育ての中で私が軸にしたことは、
学校へ行っても命だけは取られるな!
何事があっても子どもたちのそばにいる
できると当然思って寄り添う。
できるって言うのは、点数がいいことでなくやれること。トライすること。
こんなへなちょこの母ですが、自分がこけたからわかることもあります。
だから、人生コケたことを悔やむよりまぁネタになるわ!と、開き直って進みましょう!
ただでは起き上がらへんで(笑)