心地よい暮らしを ラフでいこう!笑っていこう!

ヨガ教師、こどもの命を守る仕事に従事しています。日々のこと。感じたこと。

生活保護やホームレスの方の命って。。あちゃーな話

今巷で騒がれている優勢思考のはなし。

 

わたし自身の考えをぽつりと呟きます。

 

生活保護やホームレスの方を見たのは、大阪で仕事を始めてからです。

時代は1990年代。大阪ではホームレス全盛期。

とても衝撃的でした。なんか、見たらあかんものみたいな感じ。

生まれは四国の片田舎。多分生活保護家庭もいたんだと思うけど、子どもながらあまり気にせず過ごしてきました。

 

しかし、就職した先は大阪市。よって生活保護世帯は対応する人としてスタンダードになりました。約8割が生活保護世帯の方との対応です。

一番ひどいのは生活保護までいけない人たちこぼれ落ちている人。目も当てられないくらいひどい生活です。

なので、生活保護受給をすすめることも多かったです。

その姿を見ていているので、生活保護に抵抗はありません。苦しい生活がどんなものか?知っているから、、、

生活保護を考える前に、その直前のことを想像して欲しい。

大阪なのに、文化住宅という長屋的なところで家賃は2万。収入やお金の使い方まで踏み込んで聞けるところと聞かないところがあったけど、生きていくだけで精一杯。

 

ホームレスは、もっと残酷で、けど大阪のホームレスのおっちゃんたちは、天王寺動物園前の人たちは陽気でありました。オベベを着て、(着物)です。カラオケを鳴らし、カップ酒を飲み、踊り笑い暮らしていました。

 

そこを通る行事があり、下見に行けと上司に言われ言ってみるとこのありさま。

とにかく、危害が加わらないようにホームレスの方に声をかけながら、「今日はいい天気ですなーこのオベベ綺麗やなぁ」と、敵意を見せず通ることが先決。

子どもを連れているので触らへんように気を使いながら、顔は笑いながら心は手綱を締める。

 

ホームレスの方は公園で洗濯ものも干すので利用するときは、「おっちゃんごめんやけど1時間くらい子どもたちにここ、使わせてくれへん?」と交渉します。

 

若いのに22歳くらいのねーちゃんが頼んだらだいたいは、オッケーやでと聞いてくれました。

 

生活保護者やホームレスの方と話のが日常だった日々。多分偏見という色眼鏡で見ることもなかった若い日だったからかもしれません。

 

声高に生活保護者保護など、言うこともありませんが、人生困ったら西成に行けばなんとかなる。それを知ってから人生が怖く無くなりました。

 

最後の砦。死ぬことは簡単かもしれないけど、どうにかなる社会って安心だなぁと思います。

 

目線を変えれば、また、見えてくることも変わるもので、人の命とかそんなステージの話でもなく、当然みんな生きていいのです。

 

自分が優勢だと思った時点で、あちゃーーとなります。

わたしは、ラッキーだった。不幸もあったけど生きてたらまた、笑えることもあるし!笑いたい。

 

自分が素晴らしい人間とか言う時点で、あちゃーーーーーー。

その言葉にならない文字で以上終わりです。