弟は肺がん。
実家は3代続く家業。
二世帯住宅を建てた父。
弟が家を出たいと話すらしい→母の話では
昨年癌がわかり、実家はパニックになりました。家業が立ち行かなくなる危機。
予定調和から逸脱してしまった。
時代が変わってしまった。
いや、そうなるべくしてそうなった。
いろんな言葉で説明できるけど結局なくなるってこと。
母が嫁いできて必死に守った家も会社も
いとも簡単になくなる。
先にいくかもしれない時限爆弾を抱えた弟は、不安の毎日を暮らしている。
そして、弟に全てを賭けた父と母は
唖然と逃避で日々を暮らす。
残された家族は我が身を守り出ていく。
そして、その後始末は誰に?
それだけの話。
この世は 儚く。期待すればするほど
打撃が大きい。
母は、私たち子どもを育てる時は全く手をかけれなかったくらい忙しかった。
現実逃避をしたいくらい苦しそうだった。
そして、おばあちゃんになり、恩返しのように孫に貢献した。可愛がってくれた。大きな愛で。それはそれは無条件に。
父も家庭に戻り、祖父になった。
ようやく家族らしい日々が続いた。
私は次女で転勤族に嫁いだため、あまり母とは暮らせていない。だけど危機の時は必ず来てくれた。父と母が来てくれるとホッとした。とても心強かった。
東京にいた時は夜行バスで来てくれた。いつも京八の駅でミスドのドーナツを山盛り買って降りてきた。狭いマンションで窮屈だと父は天井が低いと文句を言ってた。
愛媛の一軒家の時は、父がウッドデッキを作ってくれて息子のヒーローになった。息子は父が大好きで釣りについていき、大きな鯛を釣って自慢げだった。
その予定調和が見えなかった今。
こたつに入ってひ孫とのんびりした時間を過ごす時を願っていたのに。
それは、叶わず。。。
大切にしたものが、手からこぼれ落ちる。
そのこぼれ落ちるのを見る。
目を塞ぎながら。。。
母は弟を溺愛し、自立の道をあやまったか?
いや、もう、そういうことだったんだろう。
明日私の命も危うい。
それは平等に。
残された日々は誰にもわからないけれど
与えられた責務は果たしたい。
私は、娘と息子と夫のために生きる。
母と父が弟の運命を受け入れる姿を見るのも私の責務。
大好きな弟の不安を少しでも和らげたい。
今生きている。その楽しさを実感してほしい。
今生かされている。
命は終わりではない。
昨日介護福祉施設の施設長がおっしゃった言葉。死は怖いものでもない。日常のこと。
いつかは死ぬ。
私は、娘と息子と夫の思い出と
父と母からもらった愛情と
姉と弟との幼き日の思い出を
胸いっぱいに旅立つ。
なくなる時は、記憶と知恵だけを持っていける。
その記憶と知恵の袋を膨らますために今日も生きる。